以前、私は“未来など信じていない人”だった。
あまりにかなしいことが続くと、何かに希望を持つことが面倒臭くなる。厭世的になることで私は、涙を回避しようとしていた。何事も期待などしなければ裏切られることもない、そんな風に。
なので、彼が私の心にどんどん浸透してくるのが、こわかった。彼が「今度何々をしよう」「今度どこそこへ行こう」などと未来の話をすると苛々した。そんな恐ろしい童話は聞かせないで、と耳を塞ぎたくなったものだった。
去年の夏、彼が日本に来たとき。ごく自然に心に馴染んでしまう彼との時間に驚きながら、一方で私はいつも彼との間に薄いガラスの衝立を置くようなことをして、むなしい抵抗を試みていた。彼は彼で、そういうどこか心を許さない私の態度に、自分はシャットアウトされていると敏感に感じ取って、どうしてそんな風に振舞うんだと爆発したりした。
信頼しろと言われても、私は困るだけだった。だってそんなもの、見たこともないのに。なにをどんな風にしたらいいのかわからない。
ある日、私達は近くの大きな公園に散歩に出掛けた。公園の入り口で買った1本のラムネを2人で回し飲みながら歩く。何かラジカセの音がしていて、人だかりができている。なんだろう?と2人で覗きに行くと、ケン玉でショーをしている男性が居た。ショーの締め括りに、難易度の高い技を披露しようとして、何度も失敗する男性。笑い声が起きる。私達も一緒に笑った。
適当なところで、彼が私の手を引いて歩き出す。フリーマーケットの若者達が、芝生に敷物を広げ、手作りアクセサリーだの洋服だの雑貨だのの店を開いていた。似顔絵を描いてくれる店もある。ゆるゆるとそれらを眺めながら通り過ぎる。
池の前に来た。沢山のボートが出ていた。手漕ぎボートの他に、足漕ぎのスワンボート。この池には、有名な都市伝説が。カップルがこの池でボートに乗ると、必ず別れてしまうのだという。彼が私の手を引いて池に向かって歩き出したとき、私はこの伝説を思い出した。
私は、彼がボートに乗ろうと言い出すだろうと思っていた。もしそう言われたら、私は伝説の話は告げずに、一緒に乗る。楽しく池を一周して、日本での数日は過ぎ、彼が帰国したあとには、もう何も残らない。いつか連絡は途絶え、私はひとりになる。彼が居なかった頃に戻るだけ、ただそれだけ。いつか終わるものなら早い方がいい。
彼は木の柵に肘をついてもたれかかり、池を眺めていた。2人黙って、ぼんやり水面を見る。7月の太陽はまだそう暑くなく、風が吹いて2人の髪を揺らしていった。
考えてみたら私達は、いつも水のそばに居て風に吹かれている。初めて出逢った夜、ラッフルズの中庭で、むきだしの肩に深夜の風が冷たかった。彼は「寒い?」と訊いてタキシードの上着を掛けてくれた。その後のリバーサイドの散歩では、道端で大騒ぎする若者達が口々に「ハッピーニューイヤー!」と私達に手を振った。翌年の正月には、海辺のシーフードレストランで食事を。そのあとに続く長い散歩は、砂浜と海と、川と木の橋と、沢山の緑と赤く光る夜空と。風が吹いて彼の顔に私の髪がかかって笑ったり、誰かが下手くそなビートルズを歌う声が聞こえてきて笑ったり。
さあ、ボートに乗ろうって言って。私の中でこれらの記憶が大切なものになってしまわないうちに、早く。
何も喋らない時間が過ぎた。彼は私の手を引いて歩き出した。彼はボートに乗ろうとは言わなかった。私は後ろから彼の首筋を見詰めながら、「どうして??」と考えていた。
少し歩いた先に、楽器を爪弾く男の人が居た。軽く木の柵に腰掛け、足もとに小さなアンプ。なんという楽器なのかよくわからない、シタールに似ているけれどシタールとは違う弦楽器。俯いて、誰に聴かせる風でもなく、ジャズの匂いのする音階の曲を弾く。
彼は飲み干したラムネのビンを私に渡して、トイレに行ってくると言った。彼を待つ間、私はずっとその楽器の音を聴いていた。戻って来た彼は、音楽きちがいの私の気が済むまで、黙って一緒に音を聴いた。やがて適当なところで私の手を引き、歩き出した。
公園のはずれで、この先はどっちへ行くの?と訊かれて、私は困った。正直に「・・・道に迷った」と言うと、彼は笑い出し、「きみ、本当に日本人?シンガポールから来たんじゃないの?OK、まかせて、僕は日本人なんだ、ガイドしてあげよう」と言って私の手を引き、堂々と歩き出した。私は自分の方向音痴振りを呪いながら、どうなるのかと半泣きで彼についていく。
彼はゴミ箱を見付けてラムネの空き瓶を捨て、幾つかの店を覗き、レンタカー屋の前を通り過ぎると、不意に腕を伸ばして恭しく、「こちらがフレンチレストランでございます」と言った。え??と言って彼の指す方を見ると、確かにそこにフレンチレストランが。
「な、なんで??なんでなんで??」と驚く私を見て笑いながら、「お姫様、こちらです」と道案内をする。しばらく行くと、私が見覚えのある風景に辿り着いた。なんで??どうして??と心底びっくりしている私に、「僕は日本人だからね」と彼は笑った。
それは、不思議な散歩だった。彼はボートに乗ろうとは言わなかった。迷った私をもとの場所に連れ戻した。彼に手を引かれて歩くと、何ひとつ私の予想通りにならない。散歩の出口で私は、心の出口を見付けたような気がした。彼が私を連れて行く先には、未来があるのかもしれないと思った。私は確かにあのとき、何かの迷い道から脱け出たのだった。
あれから時間が経って今、私は、未来の話をするのがこわくない。「今度あれをしよう」「今度あそこへ行こう」と言う彼の言葉に、「いつー!いつなのー!いつ連れてってくれるのー!」と大騒ぎ出来るほどになった。それは、今すぐでなくともいつか必ず訪れる楽しい現実、として未来を信じるようになったからだ。
なにがきっかけ、というものではなく、それは積み重なったあらゆるものの作用だけれど、ふと思い出すのは、あの池のほとりの風景。ボートに乗ろうと言わなかった彼。あそこに小さな分かれ道があったような気がする。
些細なことだけれど、大切な思い出。