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欲望の翼
欲望の翼 (JUGEMレビュー »)

熱帯のジャングルを俯瞰するあの緑色の風景は、飛び続ける『脚のない鳥』の視線のようだ。じわりと汗をかいた男女が、サッカー競技場の売店で『1分間の友人』になる、それは『永遠に続く1分』の始まりだった・・・。

私がレスリー・チャンに激しく恋をするきっかけになった1本。ここから香港映画にのめりこみ、今もレスリーと香港に恋をし続けている。あなたにも、『あの1分』の魔法を、是非。
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童謡で泣くわたくし〜赤とんぼ考察〜
童謡を聴くと、わけもわからずほろり・・・なことってありませんか?
ああ私だけですかそうですかごめんなさい。

我が家の近所ではゴミ収集車が「赤とんぼ」の曲を流しながらやってくるんですけど、やめてほしいです。なみだがあふれるのです。ゴミ収集車が流してるのは歌詞のないバージョンで、オルゴールちっくな音なんですけども。でも条件反射で頭の中にwith歌詞で入ってきます。確かこんな歌詞だったよなあと頭の中で反芻。

♪夕焼け小焼けの赤とんぼ
負われて見たのはいつの日か

♪山の畑の桑の実を
小篭に摘んだはまぼろしか

♪十五で姐やは嫁にゆき
お里の便りも絶え果てた

♪夕焼け小焼けの赤とんぼ
とまっているよ竿の先

・・・やっぱなんかこの歌詞ツラいなおい(TeT)

哀愁を通り越して何気にムゴいと感じる自分てどうなのかしらと思いつつ、あれこれ赤とんぼ検索したら、やっぱりちょっとツラ目の背景があったみたいでうわあぁぁあぁ(TeT)
(以下、作詞者の背景に触れつつ、歌詞内容の補足を)
「赤とんぼ」の歌詞は作詞者の三木露風の心象風景を切り取った絵のようなものであるらしい。

三木露風の父親は遊び人で、仕事もせずだらしない生活を送り、そんな父を嫌って、母は三木露風が7歳の時に家を出て行った。三木露風は祖父の家に引き取られ「姐や」に出会う。「姐や」というのは祖父の家に居た子守娘のことで、「姉(きょうだい)」ではない。

父母と離れて寂しかった幼年時代の三木露風をかわいがってくれた姐や。姐やの背中に負われて見た赤とんぼの飛ぶ風景。家を出て行った母がこっそり三木露風に宛てて送って来る手紙をいつも読み上げてくれたのも姐やだった。三木露風は、いつか母が帰ってきてくれるのではないかと待っていたかもしれないが、母は二度と帰らなかった。実家に帰った母は、後に上京して、新聞記者と再婚したという。

「十五で姐やは嫁にゆき」とあるが、これは姐や自身が十五歳で嫁にいったのか、三木露風が十五歳の時に姐やが嫁にいったのか、検索した段階でははっきりしない。姐や自身が十五歳で嫁にいったのだと解釈された向きでは、この3番の歌詞が抜かれて子供に教えられていたこともあるらしい。つまり、現行の法律では女子が結婚できるのは十六歳からなので、「十五歳で嫁にいった」というこの3番目の歌詞はまずかろうという政府の判断があったのではないかとのこと。しかしこの一連の歌詞の「起承転結」の「転」の部分を省いてしまうことは、歌詞に流れる物語性を著しく壊し、よくわからないものにしてしまうものだった。

そして、続く「お里の便りも絶え果てた」というのは、こっそり届く母からの手紙をいつも読んでくれた姐やも嫁にいき、そして母も再婚して、母とのひそやかな手紙での交流もふっつりと絶えてしまった、ということのようだ。

大人になった三木露風が、秋になって赤とんぼが飛ぶ風景を見て、姐やの背中に負われて見た赤とんぼを思い出す。おそらくは祖父の家の近所で、姐やと一緒に摘んだのであろう桑の実のことなど、ぼんやりと子供時代の思い出がよぎる。姐やが嫁にいき、母からの手紙も、それを読んでくれた姐やも、遠くなった。そして4番目の「夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先」で、目の前の赤とんぼをじっと見詰めて物思いに耽っている現在の三木露風の視線に戻ってくる・・・。

以下、三木露風が語る「赤とんぼの思ひ出」。

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私の作った童謡「赤とんぼ」はなつかしい心持から書いた。それは童話の題材として適当であると思ったので赤とんぼを選び、さうしてそこに伴ふ思ひ出を内容にしたのである。その私の思ひ出は、実に深いものである。ふりかへって見て、幼い時の自己をいとほしむといふ気持であった。まことに真実であり、感情を含めたものであった。思ふに、だれにとってもなつかしいのは幼い時の思ひ出であり、また故郷であらう。幼年の時故郷にいない者は稀である。幼年と故郷、それは結合している。であるから、その頃に見たり聞いたりしたことは懐旧の情をそそるとともに、また故郷が誰の胸にも浮かんでくるのである。私は多くの思ひ出を持っている。「赤とんぼ」は作った時の気持ちと幼い時にあったことを童謡に表現したのであった。
「赤とんぼ」の中に姐やとあるのは、子守娘のことである。私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである。
「赤とんぼ」を子供に聞かせる時の私の希望は、言葉に就ての注意である。さうして各説に就て一々それを説明して聞かせ、全曲の心持もわからせるやうにすることである。それらのことは必要事項で、あとは子供の有する感受性で感得するといふことにしたいのである。
(日本童謡全集 昭和12年 日本蓄音器商会より)
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残念ながら、「赤とんぼ」が作られてから半世紀を過ぎて文化背景も変わり、「姐や」は「子守娘」のことだとわかるような共通意識はなくなった。そして「おわれて見たのはいつの日か」の「おわれて」を、「背負われて の 負われて」ではなく「追われて」だと思い込んだまま大人になる人も多く、三木露風が願ったようなかたちで子供に聞かせる姿勢は、今はない。

しかし、「赤とんぼに追いかけられたのかな」とか「お姉ちゃんは十五歳でお嫁にいったのね」とか「お里の便りってなんだろう?」とか、よくわからない謎々を投げられて答えもないままにただ歌い覚える割には、何故だか「赤とんぼ」を聴くと胸が絞られる・・・という気持ちだけは受け継がれているようだ。これは三木露風が歌詞に込めた思いの深さ故か、それとも子供時代に繰り返し歌った記憶が私達それぞれの郷愁を呼び覚ます所為なのか。

どちらにせよ、三木露風が「赤とんぼ」に込めた「懐旧の情」の心持ちは、言葉をつくして教えられなくとも何とはなしに感得しているわけで、三木露風の言う「子供の有する感受性」とはこういうものなのかも、と。

えーと、ややこしい話してアレだったんだけど、つまりそのアレだ、ゴミ収集車が「赤とんぼ」流しながらやってくる度に泪あふれてる私は悪くないと思います。こんな哀愁でいとな歌作った三木露風が悪いんです、たぶん。ていうか、昼間っから「赤とんぼ」流しながら来るゴミ収集車が悪い。他の曲にしてください。
| Diary | 18:17 | comments(9) | trackbacks(0) |
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コメント
http://www1.linkclub.or.jp/~kury/ct/abunaiuta/akatonbo.html
で郷愁もすっかり台無し。
| しながわ | 2004/09/27 7:10 PM |
なるほど!
じっくり読ませてもらったよ。
すごくいい記事です。
あの「赤とんぼ」にそういう背景があったとは。
| じゅじゅ | 2004/09/27 7:23 PM |
>しながわどん
ぶっ殺す!!!(笑
いや、でも実は、そっちも余りに懐かしくて泪あふれちゃうんですけど、勘弁してください・・・。

>じゅじゅたま
わーい褒めらりたー。
しかしこの背景、三木露風かわいそ過ぎあるね(TeT)
で、今度は頭の中に「からすー なぜなくのー からすは山にー♪」って流れてきて、えんどれす童謡に泣かされてるんですけど、どうしましょう・・・(知るかっちゅーのな)
| dear | 2004/09/27 8:51 PM |
涙もろいオッサンの照れ隠しでんがな(何故か西の言葉遣い
| しながわ | 2004/09/27 9:17 PM |
>しながわどん
なんやぁぁ、我慢せんとほれ、
おっちゃんの股で思いっきり泣け、ぐへへへ
ほれほれ(おっぴろげ
| dear | 2004/09/27 10:48 PM |
う。
オッチャンキャラ再発…??
| piscis | 2004/09/28 1:34 PM |
>piscisたん
ごめんね。私、病気なの・・・くすくすくす。
| dear | 2004/09/30 12:42 AM |
6年も前の記事だけど、残っていてよかったわ。
どうもありがとう。
| mamasan | 2010/09/08 7:51 PM |
私は昭和34年に露風が書いた説明文を読んで次のように考えるようになりました。
姐やは子守娘だと書いています。その子守娘は実母「碧川かた」さんのことを比喩表現したのではないかと思います。その理由は
 崑臺大きくなり子守娘は里に帰りました」と説明しているからです。これは露風が6歳の時、母親は離婚して故郷の鳥取に帰ってしまったことを言っているのだと思います。姐やが嫁に行くので里に帰ったのなら、大分大きくなりと書く必要はないと思うからです。大切な部分は次の説明です。
◆屬舛蕕畔垢い燭里浪任帽圓辰燭箸里海箸任后廚舛蕕畔垢い燭箸いι集修何とも切ない気持ちの表れじゃないでしょうか?→15で姐やは嫁に行きお里の便りもたえはてた。⇒これは露風が15歳の時に母親が再婚したので母親からの便りが来なくなったということを表現しているのだと思います。露風は詩は自分を主人公に書くものだと述べています。15歳の姐やのお里からの便りだと主人公が姐やになってしまうからです。
昭和34年に露風が赤とんぼの説明文を書いた時、母親の碧川かたさんは健在でした。かたさんは子守娘は自分のことを言っていると直ぐに分かったはずです。生涯慕っていた生き別れになった母親のことを、露風が6歳の時に離婚して故郷の鳥取に帰ってしまったことや、露風が15歳になった時に母親が再婚して便りが来なくなったことを慕っている母親が生きているのにダイレクトに書くでしょうか? 露風が母親のことを子守娘に例えたのは母親への愛情の表れであったものと推察します。
昭和34年に書いた露風の赤とんぼ説明文を読んで母親の碧川かたさんは昭和36年に次の詩を書いています。「よき子供生まるるといひし祖父君に聞かせたいと思う赤とんぼのうた」。
露風は生き別れになった母親のことを生涯慕っていました。そのことを夏姫や山づたいなどの詩に書いています。
昭和37年に母親の碧川かたさんが亡くなった通夜の晩に、露風は碧川道夫さん(再婚した碧川さんの長男)にお願いして母親の横で添寝させて欲しいとお願いして、母親と生き別れてから70年近く経った時に添寝を実現させたのです。夏姫では「吾や七つ母と添寝の夢や夢 十とせは情け知らずに過ぎぬ」と詠んでいます。
| 田舎暮らし | 2017/03/24 10:24 AM |
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